この報告は同窓会に参加できなかった皆様への報告と、次回の同窓会の参考になればと藏前の方で回想したものです。内容に関してはかなり偏ってますし、3歩歩くと忘れる質なんで間違いがあるのは御了承ください。
丁度1999年のGWOB合宿の時だ。「うちのサークルは今でもやってるん?」「さぁ、、、」 誰も強く確認言えないのがちょっと悲しい。「サークルのみんなで集まりたいね。」「そうやね。」誰の発言かも覚えていない他愛もない会話だ。まさかこんな大掛りな話になるとは誰も思っていなかったろう。
GW明けるとすぐ、OB合宿メンバーである後輩鳩野君の元に、創立者の一人である 藤川さんから連絡があった。過去にホームページ等を見たOBからメールをもらっ たことはあったが、とうとう創立者からメールがあるとは感動である。で、やは り上の代の方々の間でも「現在サークルは存続しているのか」とか「みんなで集 まりたい」という話題が挙がっており、うちらのOB合宿も話題になっていたらし い。話はとんとん拍子に進み、程無く現役とも連絡が取れサークルも元気に活動していることもわかり、同窓会開催に向け一部のメンバーが一度集まることになった。
1999年6月12日、第1回同窓会準備の打ち合わせが大阪の堂島ホテル内の喫茶店で行われた。
メンバーは藤川さん、中村さん、文原さん、森本さん、梅本さん、黒坂さん、藏前、鳩野君、尾崎君、大江君、澄川君、現役部長の辻君、同じく現役の久保君である。
この時に同窓会の日程を11月27日にすることや今後のおおまかな打ち合わせ、役割分担などを決める。
同窓会を開催する上でまずはサークルメンバーの居所を確認しなくてはいけない。はるか昔OB名簿が作成されているが、既にほとんどのメンバーの住所が違うのだ。幸い、今はインターネットのお陰で比較的容易に連絡が取れるようになったこともあり、かなり精度の高い名簿が作成できたと思っている。
その名簿を元に9月頃に同窓会案内を発送する。名簿作成と並行して行われてい
た会場探しで、場所は梅田スーパードライに決定。定員は100人以上の部屋らし
いが、せいぜい50-60人くらい集まればいいと思っていた私は参加申込が90人以
上と聞き参加率の高さ(サークル総勢で200数十人です)に驚いたのでした。
前日遅くまでの会社の飲み会にめげず4時起床。電車で溝の口まで移動する。交 通費を安く浮かすため、そこから車で移動する。序盤は順調に進んでいたが、栗 東辺りで先輩の車のエンプティランプが点灯する。丁度ドライバーだった私は、 「これ、あとどのくらい走れるんですか?」と聞くと、「うーん。よくわからん。 いつも早めに入れてるしなぁ。」「。。。。(--;」さっきSA出たばかりじゃない ですか!さらに、なかなかGSマークがみつからないうちに渋滞の後続に付きそう になる。仕方がないので手前のICで降りてGSを探す。しかし、めっちゃ心臓に悪 いっすよ。あれだけで相当疲れてしまった。その後、世話人である私は事前の打 合せもあるので大津からJRで早めに移動した(14:30開始だった)が、他の メンバーも無事大きく遅れることなく同窓会に参加できた。
結局、当日は89名もの多数の方に参加しれもらった(さらに、2次会以降に顔を出
してくれた人もいます)。知っている範囲では西は大分、愛媛、高知、東だと千
葉、今日海外から戻って来たOBもいたそうで。初めて会う人、名前だけ知ってた
人、懐かしい人、なんかいつも会っているような人と様々でしたが、色々な人と
会えて本当に楽しかったです。私は、僭越ながら諸先輩を差し置いて最後の挨拶
までさせていただきました。
まだまだ話足りない大部分のメンバーは2次会へ。さすがにこれだけの人数を収
容できないので、事前に予約していた3つの店に分裂しました。結果的に20, 15,
40名程度に分かれましたが、もう1軒多かったほうが良かったかもしれないし、
誘導が大変だった。次回はさらに工夫が必要かもしれない。
3次会も35人でカラオケを予約していたが、とても入れる人数ではなかった。創立の代の方々にはここでお別れとなりました。どうも申し訳ありませんでした。次回もよろしくお願いします。結局3次会は現役と我々の「いつも会っているような」年代だけが残って全員合唱状態の激しいカラオケが繰り広げらた。
この後、一部のメンバーはさらに居酒屋へ。OB・現役入り乱れの焼酎ストレート
一気大会に巻き込まれた私は店を出る頃になるとボロボロになっていた。以後の
ことは良く覚えてない。気が付いたら数人と一緒にカラオケボックスに放り込まれていた。
起きたらもう朝。みんな実家(自宅)に帰るようだが、東京に帰るため10時集合
の私はもう一眠りするためにカプセルホテルに向かう(親不幸だ)。が、、、梅
田のカプセルホテルは満室。あまりホテルの場所を知らない私はたまたま見つけ
たビデオボックスで直前まで爆眠することとなった。
帰り道はまだまだ酒が残っており、道中後部座席でずっと寝ている羽目になって しまった。同乗者の先輩型には非常にご迷惑をおかけしました。食事が喉を通る ようになったのは夕食になってから。浜松で鰻食いたかったなぁ。